インドから陸路でパキスタンへ 毎日祭りのワーガ国境を越えた話

こんちわ、イモリです。

2023年の夏にインドとパキスタンの間で(外国人が)唯一通過できる陸路国境、ワーガ国境を越えてインドからパキスタン入りしました。なかなか変というか面白かったので記事にしたいと思います。

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なお前提として、日本人はインド、パキスタン共に入国にビザが必要です。

ビザ関連の話(注意点,裏技など)は一番最後に補足として記しておきます。

 

タージマハルがある街アグラを前日の昼過ぎに列車で出発した私は、8月30日の午前6時半ごろ、アムリトサル・ジャンクション駅に到着しました。f:id:sartan:20240208001037j:image

アムリトサルは今回越えるワーガ国境に近い都市で、シク教徒の聖地ゴールデンテンプルがあります。なので、ターバンのインド人がいっぱい見られます(ちなみにターバン巻いてるからといって全員シク教徒というわけでもないです。見た目である程度わかると思います)。

とりあえずゴールデンテンプルにオートリキシャーで向かいます。アグラやデリーと違ってウザい客引きとかは皆無です。とはいえ多少ふっかけてはくるので料金は交渉しましょう。
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途中からホコ天になるので、そこで下ろされます。ゴールデンテンプルはターバン必須なのですが、ここで10ルピーでオレンジの簡易ターバンを売ってる人が駆け寄ってきます。

タオルを頭に巻くとかでも大丈夫ですが、嵩張らないし記念になるので買って損はないと思います。ちなみに聖地なので?一切ボッてきません。

短パンとタンクトップは寺院内はNGです。

荷物と靴を預かり所で預けて裸足で入ります。

聖地なので入場料、ロッカー代無料、チップなしです。
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ゴールデンテンプル、はっきり言って良過ぎます。個人的にタージマハルより圧倒的に好き。
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ゴールデンな本体部分に参拝するために並びます。

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列に並び始めてからは写真NGで、撮ってると普通に怒られます。
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なので中の写真はありませんが、面白かったです。実際に行って確認してみてください。詳細は伏せますがまさかの生演奏でした。

参拝が終わるとヌチャっとした何かを手にベチャッとくれます。おそらく食べ物みたいなので食べました。
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味は現地で確認してみてください。衛生面気にしなければ普通においしいです。

それでは国境に向かうべくバスターミナルに向かいます。

バスターミナルの場所

滞在時間は短かったけどアムリトサルは良きインドを凝縮したみたいな街でした。みんなも有名観光地なんかよりアムリトサルとかの地方都市行こうね。

国境手前のアッタリまでは路線バスで行けます。ボルダルボルダル(インド英語でborder)連呼してれば乗り場に案内してくれます。

23番乗り場からバスが出ています。時刻表とかは多分ないですが、待ってれば多分乗れます。

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40分ぐらい待ってたらバスが来たので乗ります。
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1時間ほどでアッタリにつきます。そこからは徒歩かリキシャーで数km先の国境まで向かいます。

せっかくなのでまだ乗ったことがなかったオートじゃない人力のリキシャーに乗りました。
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国境の軍用地ゲートでリキシャーを降り、銃を持った軍人2人と雑談しながら、案内されてパスポートコントロールの建物に案内されます。

荷物も検査されますが、特別厳しくはなかったです(緩くもない)。

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出国スタンプが押されたらバスで国境線手前まで行きます。事前情報だと遊園地みたいなSL型の乗り物で行くという話でしたが、普通のバスでした。
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私が乗り込んだらすぐに出発しましたが、10人ほど現地人らしき人が灼熱の車内で暇を持て余して待っていたので、タイミングが悪いとかなり待たされると思います。

国境でも日本人の人気がすごいので、日本人だったからすぐバスが出たという可能性も感じます。

真の国境線手前まで来ました。ここら辺は毎日セレモニー(後述)もやっているので逆に余裕で撮影できる雰囲気です。

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国境に観客席があります。
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バイバイインド
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去り際にインド兵にセレモニーは何時か聞くと午後5時半とのことでした。

インド時間なので、5歩先のこれから入国するパキスタンでは5時です。

なお、後述のセレモニーは日没に合わせているため、季節ごとに時間が異なるので注意してください。まあわからなくても日没1時間半ぐらい前にくれば大丈夫です。

ここまで写真は撮れてないですが数多のインド兵との会話、記念写真に応じてきました。悪い気はしませんが非常に疲れました笑。やっとパキスタン入国です。
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パキスタン側にもインドほどではないですが観客席があります。
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ジンナーの肖像でパキスタンを感じます
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ジンナーの肖像のゲートを越えたあたりに謎の両替商がいるので、ここでインドルピーを全部パキスタンルピーに替えることをお勧めします。日本円も両替できます(なぜかパキスタンでの日本円の需要がでかいようで、日本円はどこでも非常に良いレートで両替できました)
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とりあえず兵士に誘導されてパスポートコントロールに行きます。国境審査の人日本のアニオタでした。滞在先と日数、滞在予定の街だけ聞かれて余裕で入国完了

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国境を越えたい場合、3時ごろには閉めてしまうらしいのであまり遅くならないことをおすすめします。私は午後1時ごろにインド側に到着しました。
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入国は完了したのですが、灼熱の荒野に放り出され、近くに車などは見当たりません。

水もちょうど尽きていたので、死ぬなあと思いながら(本当に最悪インドに戻ろうと思った)しばらく歩くと売店(その時は閉じてた)があるところに車が止まっていて、運ちゃんが声をかけて来ました。ラホール市街まで5000ルピーより安くはならない(ボッ!)と言われましたが、脱水で死にそうだったので乗りました。日本の物価からすればそれでも安いからと自分を納得させます。

(ちなみにちょうど2パキスタンルピー=1円です)

結果論ですが、さらに1kmほど先の検問所のあたりにチンチー(≒オートリキシャー)が溜まっていますので、そこでチンチーを拾えば700ルピーも出せばメトロ駅まで行けます。が、40°C近い気温の中、当時の状態では先も見えない中1kmも歩けないのでぼったくりタクシーに救われました。多分コネで手前まで来ていたんだと思います。

メトロの駅では男女別で結構並んでトークンを買って乗ります。インドほどではないですが、割り込みもあるので気長にかつ強気に頑張ります。運賃は端から端まで乗っても100ルピーぐらいですごく安いです。
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ちなみに後から気づきましたが、なぜか誰も使ってない自動券売機を使えば全く並ばないでトークンを買えます。ただ、5ルピー(コイン)の端数が出る区間は係員が横にいないとお釣りの問題で買えない(券売機は紙幣のみ取扱い)という謎運用です。その場合は係員がいなくてもひとつ遠くの区間まで買えば大丈夫です。差額の5ルピーは2.5円ですから、並ぶ時間考えたら払うべきです。

トークンはこんなかんじ
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ラホールのメトロは中国が建設しました。ハノイとかにあるのと全く同じです。
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車内の治安は悪くはないです。大混雑もしないので、スリも気をつけていれば大丈夫な感じです。
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メトロに乗る外国人はすごく珍しいので、乗客の視線がすごいです。頻繁にメトロの建設を感謝されます。俺日本人だけどね。

駅員は中国からの視察と思うのか、めっちゃ親切かつ優遇してくれがちです。

ちなみに、別路線でメトロバス(高架のバス専用レーン)があるのですが、そちらは非常に治安が悪いので乗らないことをお勧めします。下車した後しばらくスリの行列がついて来ました。

 

別の日、今度は毎日開催のセレモニーを見に、もう一度国境に向かいます。(インドには戻りません)

Uberを手配するのが一番楽ですが、メトロでDera Gujjran駅(終点)まで行ってチンチーに乗り換えるのが安上がりかつ早いです。

駅前に方面別でチンチーがたむろしているので、ワガボダと言うと国境方面行きのチンチーが集まっている場所を教えてくれます。流暢にWahga Borderと言ってもあまり通じません。ワガボダです。

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チンチーに30分ほど乗って国境の最初の検問所まで行き、そこからは3,4回パスポートと荷物の検査をされながら国境線の観客席のところまで1kmぐらい歩きます。

私はほぼ手ぶらで行ったのですが、周りも誰ひとりバックパックなどを持っていなかったので、セレモニーを見にいく際は最低限の荷物で行った方が良さそうです。普通に何年か前も爆弾テロあった場所ですからね。

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国境を跨いだ時はなかったクソデカ国旗がはためいている
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このあたりまで来ると爆音の音楽がきこえます。

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国境警備隊兵士と記念撮影ができます。全員デカいです。デカくないとここの兵士にはなれないそうです。
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外国人は案内された決まった列に座らされます。
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インドとパキスタンは仲が悪いことで有名ですが、ここワーガ国境ではフラッグセレモニーという国旗を下ろしてゲートを閉める際に穏便なバトル的なノリの式典もといお祭り騒ぎを毎日やっています。毎日です。

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セレモニーの詳細は現地で体感してほしいのと、YouTubeでも動画が出てくるので省きます。ツッコミどころもあって面白いです。

パキスタンにはお決まりのコール&レスポンスがあります。

"Jeve Jeve" → "Pakistan" ×n回のあと、

"Pakistan" → "Zindabad!" 

です。セレモニー中も何度もやるので、パキスタン側で観覧する場合は覚えておくとより楽しめるかと思います。
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終わった後はゲート前まで行って記念撮影できます。外国人は優遇して先に入れてくれます。

インド側にいる人と手を振ったりもできます。
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インド側の方が盛り上がっていて、交通の便もよいので、セレモニーだけ簡単に見たい場合はインド側の方が楽と思います。

が、選曲のセンスなどが全く違うのでパキスタン側もいいです。

特にセレモニーの兵士の服はパキスタン側の方が断然かっこいいです。
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パキスタン側で流れていた曲の一部が特定できたのでYouTubeのリンク置いておきます。

Hamara Pakistan (Urdu) | Shafqat Amanat Ali | Pakistan Day 2018 (ISPR Official Video) - YouTube

Jeve Pakistan ( Official Video ) | Sahir Ali Bagga | Latest Anthem Pakistan 2021 - YouTube

終わったらまた1km歩いて戻ります。適当なチンチーに乗って帰ります。
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外国人が通れるインド・パキスタン間唯一の陸路国境、ワーガ国境は毎日爆音の音楽とともにお祭りをしている変な国境でした。

通行は9時から15時の間、セレモニーは日没前に行われています。

他にはない面白さが沢山あるので非常におすすめです!(テロには気をつけて!)

今回は以上です!

 

最後に補足

ラホールの治安ですが、あまり良いとは言えません。スリや強盗がすごいので公共交通機関よりはUberでの移動がおすすめです。

こいつはラホール砦で私のスマホを強盗したのでとっ捕まえた時の写真です。

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こいつは捕まえちゃいましたが基本的には盗られたら諦めましょう。追うのは危険です。

絶対とはいえませんが、ラホールではアラブの王族のような白いワンピースを着た人たちは大体安全です。Tシャツを着た肌が汚めの人たちはめちゃくちゃスリ狙って来ます。

出歩いてる外国人という時点でめちゃくちゃ目立つ環境なので気をつけましょう。

ちなみにインド同様、日本人自体は大人気です。

 

 

 

おまけ ビザ関連

ワーガ国境を渡る場合、万が一パキスタンで入国拒否されると非常に面倒なことになる可能性があるため、インドに2回以上入国可能なビザをおすすめします。

なので一部の空港で日本人と韓国人のみ取得できる"ビザオンアライバル"はシングルビザなのでやめた方がいいと思います。

九段にある大使館でダブル以上の紙ビザを取るか、マルチのeビザを取得しましょう。

今回自分は、九段まで地下鉄ですぐのところに住んでいることもあり、安価な大使館でのビザ取得をしました。

ちなみにめちゃくちゃ面倒なので大使館まで30分圏内の人以外は大人しくeビザにすることを強くおすすめします。

eビザは5年有効のマルチビザで、初回のみ指定の空港などから入国する必要はありますが非常に良いそうです。

(個人的に大使館周辺が懐かしの場所だったので大使館での申請にしましたが、そうでなければ多分eビザにしてます。最初の入国地点が陸路国境の場合以外ではわざわざ紙ビザを取得するメリットはほぼありません。eビザでワーガを含む陸路国境での出国や、2回目以降の陸路での入国は普通に可能です。あくまで初回のみ指定の空港or海港から入国する必要があります。)

インドビザはオンラインで作成した申請書と指定サイズ(正方形)の白地の顔写真、往復の飛行機等のeチケット控えを持参して、9時半から11時半の間に大使館に1200円払って申請すると、数日後に電話が来て、以降16時から17時に受け取る形です。

インド大使館サイトのビザ関連ページ

Embassy of India Tokyo, Japan

インドビザ申請サイト

India Visa Online

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私は日程が短かいからか、信用がないのか、マルチで申請したのにダブルビザとなりました。まあダブル以上なら問題ないのでOKです。料金も同じだし。

追加情報として、

顔写真は交差点付近のヒライ商会でインドビザ用の写真といえば完璧に作ってくれるのでおすすめです。完全にたばこ屋ですが昔はカメラ屋でした。今は証明写真だけやってます。

また、ワーガ国境を超える場合は徒歩での越境のため、出国(あるいは入国)のeチケットがそもそも存在し得ないです。したがってダミーのチケットの控えを提出することになります。適当な安いバングラデシュ行きの捨てチケットを買うとか、飛行機のチケットを買うなど各自工夫してください。(裏技として、カードの限度額的に学生には厳しいかもしれませんが、JALの一番高い運賃は非常に高額だけど払い戻し手数料がかからゲフンゲフン)

学生や無職(主婦含む)単独の場合、追加で預金残高の証明書(滞在日数×1万円以上)を要求されますが、ネットバンキングのスクショのコピーでもOKという裏技があります。さすがインド。

以前は郵送でも書類に不備がなければいけたはずですが、自分には必要ない情報なのでわかりません。

なお、申請書提出後はちょうど昼時だと思うので、すぐ横の建物地下にあるムンバイというカレー屋がおすすめです。

高校時代の行きつけでした。店員も客もインド人でたまに日本語通じないけど、インド現地のカレーより断然うまくて、価格帯的には某ター○ー屋の超上位互換です。マトンがおすすめです。ちなみに学生は100円引きでラッシーも無料でつきますが、案内は一切ないので自発的に主張しないとダメです。インドですから。

 

パキスタンビザは全てeビザで、観光ビザは基本的にシングルのみとなっています。ダブル以上の申請自体はできますが、最近は99%通らないと思います。その他暗黙の了解みたいなのはありますが、そこに気をつければ必要事項を全て入力して数時間で承認されました。仕事が早いぞパキスタン

正直にワーガ国境から入国としても大丈夫です。(アフガンはダメです)

写真サイズはインドと違って適当で大丈夫でした(一応指定はあります)。

あとは発給されたビザをA4に印刷して持っていけばOKです。

パキスタンビザ申請サイト

Pakistan Online Visa System - Government of Pakistan

大体30日下りるそうですが、私はこれまた信用がないのか15日ビザでした。別にいいけど。

未承認国家 沿ドニエストル共和国旅行記2023

こんちわ、イモリです。

2023年9月に、モルドバ東部のウクライナ国境地帯に存在する未承認国家「沿ドニエストル共和国」に行ってきました。今回はその旅行記です。

沿ドニエストル共和国に関わる歴史はざっくり言うと、

ソ連崩壊後、ルーマニア系が主であるモルドバに組み込まれたことに、工業地帯であるドニエストル川沿岸に技術者などとして来ていたロシア系住民が反発し、戦争の末1991年に独立したが、ロシアを含め国連加盟国は未だ一切承認していない。

と言った感じだ。詳細はwikipediaなどで調べてほしい。

この沿ドニエストル共和国、なかなかクセが強く、まず国旗がソ連国旗に緑の帯なのだ。未だに国家として鎌と槌を国旗に取り入れているのはここだけだ。また独自通貨を利用していたりとなかなか面白いのだが、追って説明したいと思う。

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沿ドニエストル共和国に行く場合、モルドバの首都キシナウから小型の乗り合いバス"マルシュルートカ"を利用するのが現在最も簡単なアプローチだ。

戦争が始まる前はキシナウorオデッサから国際列車を利用するアプローチもできたが、運行停止で現在はできなくなっている。

 

そんなわけで9月11日朝8時10分、私はブカレストからの夜行列車でキシナウに到着した。

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キシナウから沿ドニエストル共和国の首都ティラスポリまでのマルシュルートカはGara Centralaから出ている。Gara (駅)といっても鉄道の駅ではなくバスステーションだ。Garaまではキシナウ駅から歩いて15〜20分ほどである。キシナウの街は建物といいトロリーバスといい旧ソ連地域によくある感じだが、一国の首都としてはなかなか小ぶりで、規模感的には北見以上旭川未満といったところだろうか。
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道中のコスモスホテルもソ連時代の建築だ。
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マックの入った商業施設の裏にある、市場?の一角にGaraはあった。 当時36時間の列車の旅の直後で疲弊しており撮影を失念したが、敷地内に入るや否やニコニコのおっちゃんにTiraspol?と聞かれチケットカウンターに誘導された。トルコの後に来ていたためボッタクリに警戒したが、料金表通りの価格で普通に親切なだけだった。ここに限らずモルドバ沿ドニエストルの人達はみな非常に親切で、トルコ人の常に裏のある偽善を浴び続けた身には天国のように感じられた。

価格は忘れてしまったが100レウ(850円)より少し高かった気がする。多分120レウ(1000円)だったかな?ちなみに便数は30分に1本以上出ているので時間は気にしないで大丈夫だ。

マルシュルートカの中はこんな感じで定員は20人無いぐらいの小型バスだ。マルシュルートカ自体はモルドバに限らず東側諸国によくある。ドライバーはさっきのニコニコのおっちゃんだった。
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出発時点の乗車率は半分程だったが途中でも乗客をどんどん拾っていく。出発から15分ほどしたころ、後ろから衝撃を受けて片側3車線の道路の真ん中車線に停車した。追突されたようで、ドライバー同士が道路のど真ん中で揉め始めた。場所が場所だけに別の車に追突されないか心配したが、15分ほどで再出発した。後で見た限りさすがメルセデスで全く業務に支障ない程度の損傷だった。

特筆することはない東欧の風景を東へ進む。途中の一面の小麦畑はまあ綺麗だった。

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出発から1時間15分ほどしたころ、特に何もされないがモルドバ側の検問所があった。そこを通り過ぎてすぐ、沿ドニエストル国旗とロシア国旗がはためく国境ゲートに到着した。乗客は全員下車して入国審査を受ける。目的と滞在日数だけ聞かれ、ビザが発行される。このビザは出国時に必要なのでなくさないように。出国時に回収はされないので持ち帰りは可能だ。

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ビザはロシア語と英語で書かれている。日帰りの人の滞在期間は約12時間みたい。宿泊する場合は中央アジアみたいに投宿後に警察か何かに滞在届を提出しに行く必要があるそうだ。日帰りならダミーの滞在先がなくても問題ない。(英語は通じた)

沿ドニエストルに入った途端、言語が全部ロシア語になった。これは電気屋の″ハイテク”

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こちらは沿ドニエストル経済を牛耳っている財閥シェリフのスーパー。写真はないがシェリフのサッカースタジアムなどもあった。

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凱旋門らしきもの
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マルシュルートカの終点であるティラスポリの(鉄道)駅前に到着。
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事前情報にあった駅に併設の両替所に行くと、まさかの閉店。なんか今日だけ休業という雰囲気でもなかったのでもうやってないのかもしれない。
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早速困ったが、この後歩いて5分のシェリフスーパー内にシェリフの銀行が併設されていて、そこで問題なく両替できた。さすがシェリ

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100ルーブルとかの紙幣もあるが、全部同じ人の肖像だった。裏の柄は違う

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1ルーブル=7円ぐらい。モルドバレウの他、ドル・ユーロもレートがあったので両替可能と思われる。日本円は多分むりかな。

ちなみに駅構内には入れるが、今はおそらく列車は来ていないようだ。
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時刻表にはキシナウ行きやすぐ隣ウクライナオデッサ行きのほか、モスクワやムルマンスク(!)行き、ベラルーシミンスク行きなどの長距離列車も並んでいるが、今は運休中のはずだ。
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散歩開始である。

いかにもソ連のアパート
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こちらは高級マンションらしいが、あまり人が住んでるようには見えない。
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トロリーバスも走っているが、トラムはない。
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中心街の公園まで来た。沿ドニエストル建国33周年
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沿ドニエストルは国連加盟国からは全く承認されていないが、同じ未承認国家であるアブハジア南オセチア、アルツァフと相互に承認しているので、その3か国の旗があった。アルツァフ(またの名をナゴルノ=カラバフ)はこの少し前に訪問予定だったが、アゼルバイジャンアルメニア滞在中も開戦間際のようなきな臭さを感じた(特にアルメニアの右翼たちによる演説は何言ってるかわからないけどなかなか心に響くものだった)ので訪問を取りやめた。
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結局予感は的中したようで、このすぐ後にアゼルバイジャンの侵攻によってアルツァフは崩壊した。今となってはエレバンの大使館でアルツァフビザだけもらっておけばよかったと後悔している。

こっちの旗はロシアと沿ドニ以外何かわからない。まあいいや
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ロシア国内ではほぼ見れないレーニン像も、ソ連の後継を自負する沿ドニでは首都の庁舎前に健在である。このレーニンちょっと粗削りだな。
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探せば他にもレーニン像があるようだが、事前情報にあった観光案内所がちょうどお亡くなりになられていた(後述)ので、レーニン像マップが手に入らず、疲労もあって探す気力もなかったのであきらめた。最大のレーニン像はこれのはず。

横には戦争博物館みたいなのがあったが、休館日だった。
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エカテリーナ二世の像もある
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国名の由来であるドニエストル川。しょぼい。
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Ⅰ LOVE NY的なやつ。ちゃんとロシア語一人称のЯになってる
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多分唯一のお土産屋。やっぱりスターリンとかそういうソ連みを押し出したものが多い。とりあえずマグネットとソ連好きの友人用のお土産だけ買った。
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勝利の顔 (独立に功績あった軍人かな?)
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たぶん裁判所
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著作権大丈夫か?あと国際ドメインは普通にモルドバの.mdなのね
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かわいい青の建物
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Amazonこんなとこにまできてるの?
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沿ドニエストルといえば世界唯一のプラスチック製コイン。すでに一般流通はしてなさそうだったが、銀行で両替してくれる(手数料2ルーブルかかった)
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全種類セットでも150円程度なのでお土産におすすめ。

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1,3,5,10ルーブルの4種類。3ルーブルとかいうトチ狂った単位のコインが面白い。

裏面はこんなかんじ

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個人的な追加の興奮ポイントとして、両替手数料のお釣りで5カペイカコイン×4枚をゲット

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本国ロシアでは全く価値がなくなってしまいまず見れない、ルーブルの補助通貨"カペイカ"(1ルーブル=100カペイカ)が沿ドニではまだ現役。でも銀行以外の店ではカペイカ単位は釣り銭省略されることが多いと思われる。

ちなみに沿ドニエストルで調べると記事に必ずでてくる観光案内所につたないロシア語で道を聞いてたどり着いたが、既に撤退していて、一応中に入ってみたらおばちゃんに爆笑された。
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余談だが、沿ドニエストルでは若者含めて英語は通じたらラッキーぐらいで、基本はロシア語になる。ネットもモルドバのSIMが通じなかったので、ロシア語の日常会話ができるようにするか、事前にGoogle翻訳のロシア語をダウンロードしておいた方がよいと思う。最低限キリル文字の音がわかれば看板も多いので迷うことはない。そもそもティラスポリの中心街はそんなに広くもないので別にロシア語がわからなくても致命的ではない。

街を一通り廻って駅まで戻ってきた。

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跨線橋では5km先のウクライナからの携帯電波が若干通じる。ヨーロッパ大体OKみたいなSIMを使っていたのでここだけネットが使えた(ほぼ使い物にならない遅さだったけど)

帰りもたまたま行きと同じニコニコ運転手のマルシュルートカだった。チケットは駅の出札で購入する。沿ドニルーブルがなくてもモルドバレウも使用可能なのでありがたい。
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ドニエストル川を越える鉄道橋がロシア国旗色
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ちなみに、沿ドニ国内にはロシア軍がPKOで駐留しているので、ロシア兵の姿をみかけることがある。また、車窓からロシア軍のベースも見える。でもまあ街は平和そのものだったのでそんなに怖がらなくて大丈夫だと思うが、たまに爆撃音が聞こえるという話もあるのでオデッサあたりの戦況によっては渡航は控えた方がよさそうだ。

 

モルドバウクライナの国境という位置的に日本から行きづらい場所にあるが、入国の難易度自体は低いし、ソ連の田舎町感を感じられるので、興味があったら話のタネに行ってみると面白いと思う。いつ急に無くなるかもわからないし。

個人的には楽しめたけど、まあでも普通の旅人にはおすすめはしないですね。

 

さいごに、沿ドニエストルは首都ティラスポリ市内の治安は非常に安定していましたが、ウクライナのすぐ隣かつロシア軍駐留地域なので、ウクライナからの攻撃を受けないとも限らないのと、現在外務省の渡航情報はレベル3(オレンジ)なので、行く際は自己責任で。

あと万が一パスポートなくすと駐モルドバ大使館も介入できないので多分割とやばいです。

それでは。

トルコからモルドバまで列車で二晩かけて行った話②

前回 トルコからモルドバまで列車で二晩かけて行った話① - あかはらいもりの日々放浪記 

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こんちわ、イモリです。

前回、イスタンブールからルーマニアブカレストまでの夜行列車を飛び降りて、期限10秒前に奇跡的にモルドバ行きの列車のチケット引き換えに成功しました。

今回は二夜目のブカレストモルドバのキシナウ行き国際列車での旅です。

今回の移動スケジュールf:id:sartan:20240103230451j:image

とりあえず列車の出発まで30分あるので、キオスクで食料と飲み物を調達します。ルーマニアのお金(レウ)は持ち合わせていませんが普通にカードが使えました。

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電光ではない板の発車案内がいい味出してます。ただキシナウ行き、イスタンブール行きの文字がないのは残念。それぞれ国境のUngheni行きとRuse行きとして掲示されています。
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発車20分ほど前の19時ごろ、列車が推進回送で入線しました。前2両がUngheni止まりのルーマニア鉄道CFRの座席車、後ろ3両がキシナウ行きのモルドバ国鉄CFMの寝台車です。

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わかる人にはわかりますが、モルドバ国鉄側の車両は今ではかなり珍しくなった典型的なソ連の客車です。
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モルドバ旧ソ連圏ですが、現在はルーマニア語を国語としているのでサボ(行先表示板)はキリル文字ではありません。
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車内に入ると薄暗い廊下がすごくソ連みを感じさせています。
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車内の表示はロシア語です。子供の頃テレビで見たシベリア鉄道の番組で紹介されていて謎に強く印象に残っていた、停車中トイレ使用禁止 (ВО ВРЕМЯ СТОЯНКИ ПОЛЬЗОВАТЬСЯ ТУАЛЕТОМ ВОСПРЕЩАЕТСЯ) の看板にお目にかかれて興奮しました。もちろん今も垂れ流し式のトイレです。日本ではもう大井川鐵道でしか体験できない垂れ流しです。あとで使うのが楽しみだ^_^

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ロシア語で水まわりの設計図が掲示されています。故障時に車掌が直すためでしょうか。
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寝台は2段ベッド×2の普通の構造です。Купеです。
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モルドバ国鉄ロゴのカーテンが掛かっています。何故かかなり開けづらいので邪魔でした。

ついでに隣のルーマニア鉄道の座席車を覗いてみるとかなり綺麗でした。差が激しい。

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連結部を外から見るとこんな凸凹感。北斗星トワイライトエクスプレスの食堂車を彷彿とさせます。

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食堂車といえば、この列車の4両目(モルドバ国鉄3両のうち真ん中)には簡単なバーがあるそうです。しかし、走行中に行こうとしたら車両連結部が激しい揺れに加えて真っ暗で鉄のドアは重く幌もボロボロという感じで隣の車両に渡るのが怖すぎたので諦めました。

f:id:sartan:20240104045955j:image英語のブログに今も営業しているという情報があったので興味がある人は使ってみてください。

ベッドメイキングしていると、車掌がチケットの確認に来ました。国籍を聞かれたのでJapanと答えるとなんと通じない。ルーマニア語は喋れないのでロシア語でЯпония(ヤポーニヤ)と言ってみると、Japonia!と理解してくれました。やっぱり旧ソ連圏では今でもロシア語が共通語だな。ちなみにチケットはこれっきり返されません。

この列車にはルーマニアに交換留学的な活動で訪れていたモルドバの高校生団体が帰国のために大勢乗っており、自分の部屋も残りの3人はその団体の人たちでした。彼らは英語がかなり喋れました(単に優等生だからかもしれない)。彼らの間では日本で言うサンキューのノリでСпасибо(スパシーバ)と言っていてソ連を感じます。

走り始めてしばらくすると、その団体の女の子(同室ではない)がドアを勝手に開けてHiと言ってすぐ閉めました。学生ノリ×アジア人見物かと思って軽くムカついているとまたドアを開けて部屋に入って来ました。聞くと日本に興味があるそうなので色々話すことにしました。看護専門学校生だそうです。それで結局日本語とルーマニア語(再度だがモルドバルーマニア語が国語である)を教え合うなど2時間ほど話し、日付の表し方とか文字とか色々日本のことに興味を持ってくれたのでなかなか楽しかった。

ドSなのか、めちゃくちゃスパルタでルーマニア語を教え込まれたので私も自己紹介などは完璧な発音でできるようになるなどしました。最後に漢字ひらがなカタカナで名前を書いてあげたらすごく喜んでくれました。こうした交流があることも夜行列車の良さですね。(日本では避けてますが)f:id:sartan:20240104053125j:image

 

深夜3時、国境のUngheniに到着しました。出国審査は室内で済むタイプですが、この時間は本当にキツい。

ルーマニアを出国すると10分も走らないうちにモルドバ側で今度は入国審査です。いくつか質問された後パスポートを回収されます。

その後ホームから入換で側線に移動して客車が1両ずつに分割されます。何が行われるのかというと、台車の交換作業です。標準軌ルーマニアに対して、モルドバ旧ソ連なので広軌です。なので直通するためには台車ごと取り替える必要があるのです。非効率ですが、同じことをやっている所は中蒙国境など他にもあります。

作業員が乗り込んできて、台車直上の床からピンを抜き、その後車両がジャッキアップされると車体だけが浮いて線路上に残った台車を作業員が人力で転がしてどかしていきます。f:id:sartan:20240104055953j:image

構内は台車だらけの異様な光景です。f:id:sartan:20240104061122j:image

今度は広軌の台車を反対側から転がして来て、車体を降ろして取り付けます。再度入換を行なって車両を連結したら、ホームに戻って作業完了です。

最後に乗り込んできた国境警備隊からパスポートを返却されます。時刻は午前5時半です。午前3時から5時半まで起きている必要がある非常に辛い国境越えです。

実のところ私はモルドバ側でパスポートを回収されてから次の朝キシナウ到着前まで寝てしまったので、台車交換の記憶はジャッキアップの揺れで地震の夢を見たこと以外ありません。パスポートは起きたらテーブルに置かれていました(危ない)。

なので写真は復路に撮ったものです。ちなみにブカレスト行きの国境越えは夜8時〜10時ごろなので辛くありません。

ちなみに一応国境なので写真を撮っているのがバレるとかなり強めに怒られるという前情報がありましたが、自分は運が良かったのか特に何も言われずにすみました。撮る場合は自己責任でお願いします。

 

朝、7時半ごろに車掌に起こされました。定時に終点に到着するようです。f:id:sartan:20240104061900j:image

9月11日午前8時10分、イスタンブールから2晩36時間の列車の旅を終え、モルドバの首都キシナウに到着しました。寒い。
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飛行機なら2時間かからない距離でLCCもあるので、普通はイスタンブールからキシナウまで鉄道で行くという選択肢は取りませんが、特にブカレストからキシナウまでの列車はソ連客車、台車交換、国境越えというオタにはたまらない要素が詰まっているので非常にオススメです。f:id:sartan:20240104063917j:image

 

キシナウ駅、石造りの駅舎がかわいい。

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今日夕方の列車でルーマニアに戻る予定なので、先に帰りのチケットを窓口で買います。VISAマークなどがあるのでカード払いできると思ったら、現金のみの対応でした。切符作成してもらっている間に両替に行きます。すぐ横に両替屋があります。レートも特に悪くはないです。ブカレストまでは664モルドバレウ(5500円ぐらい)でした。f:id:sartan:20240104061913j:image

切符がなんと手書きの補充券の冊子だったのには驚きました。(往路同様回収されてしまいましたが)

最後にその補充券の画像で終わりにします。次回は未承認国家沿ドニエストル共和国潜入編です。

 

表紙 ルーマニア語ロシア語ドイツ語表記です。f:id:sartan:20240104071136j:image乗車券部分f:id:sartan:20240104071123j:image寝台券部分f:id:sartan:20240104071126j:image指定券f:id:sartan:20240104071133j:image権利などの説明f:id:sartan:20240104071129j:image

トルコからモルドバまで列車で二晩かけて行った話①

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こんちわ、イモリです。

日本では普通の夜行列車はサンライズ出雲・瀬戸だけとなり、とくにブルートレインのような機関車が客車を引くスタイルの夜行列車は全廃(カシオペアは一応残ってるともいえるが)されて久しいですが、海外ではまだまだ一般的です。

私自身はサンライズにコロナ前は頻繁に(だいたい大阪→東京だが)乗っていましたが、客車の夜行というと8年半前に急行はまなすで青森から北海道に渡ったのを最後に、今回の一連の旅行までご無沙汰していました。

 

2023年9月7日、私はトルコのイスタンブールにいました。

次の目的地をモルドバ東部にある未承認国家、沿ドニエストル共和国に決めたので、ひとまず手前のモルドバの首都、キシナウに向かう必要があります。

モルドバルーマニアの東隣にある国で、国旗がルーマニア国旗ベースなことからも分かるように、主にルーマニア人が住んでいます。一方、旧ソ連構成国の一つでもあるため、技術者などとして移住してきたロシア人も多く住んでいます。(このことが未承認国家の存在に関わってくるのですが次回に)

ちなみにルーマニアイスタンブールからブルガリアを挟んで北に数百キロの位置にあります。

 

イスタンブールといえばオリエント急行の影響でヨーロッパの鉄道のスタート地点というイメージだったので、できれば鉄道で行きたいと思い調べてみました。

調べたところ、イスタンブールからルーマニアブカレスト行きの夜行列車が出ていて、さらにブカレストからは2時間の乗り継ぎでキシナウ行きの夜行列車が出ているではありませんか。完璧です。

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トルコ発の国際列車はオンライン予約ができません。(厳密にはブカレスト行きのみルーマニア鉄道のサイトからできなくはないが、ルーマニアの駅で切符を受け取る必要がある)

そのため、切符は駅の窓口で購入する必要があります。

イスタンブールから西に出る列車のターミナルは、オリエント急行の終着点として知られたシルケジ駅から郊外のハルカリ駅に何年か前に移り、今はシルケジ駅からの列車はありません。

でも国際列車の切符は今もシルケジ駅で買えます。多分ハルカリ駅でも買えますが事前に買う場合中心部からかなり遠くて不便です。

シルケジ駅は街の中心部にあり、トラムでもフェリーでもなんでも簡単に行くことができます。おそらくイスタンブールを訪れる人ならほぼ全員シルケジ駅周辺には行くと思います。

駅にはいくつか窓口があり、国際列車の窓口は奥にあります。クレジットカードも使えます。2日後の9月9日発の切符を購入すると、チケットにはなぜか別の列車のはずのIstanbul Sofia Expressと書いてありました。

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一応ブカレスト行きにはボスポラス・エクスプレスという名前があるそうですが、ソフィアはこの列車は通らないブルガリアの首都です。なんでだろう。

ちなみに寝台は勝手に2段ベッド×2のタイプになります。それ以外ないので。

 

2日後の9月9日夕方、マルマライ(近郊電車的なの)で出発駅のハルカリ駅に向かいます。車内でケンカが発生して列車内の男のほとんどが大集結するなど謎のトラブルに見舞われ、予定より30分ほど遅れてハルカリ駅につきました。既に列ができていたので並びます。

しばらくして改札がスタートし、荷物検査を終えたら下の階のホームに出ます。

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ここであることに気づきます。ブカレスト行きは先頭の1両だけで、残りの車両は全てソフィア行きの"Istanbul Sofia Express"みたいです。切符の表記の謎が解けました。

部屋は2段ベッドが2つにドアがついて1部屋となっているよくあるタイプです。かつてのトワイライトエクスプレスのB寝台と構造はほぼ同じです(鍵はあります)。同室はオランダ人カップルとパリの地下鉄運転手のおっさん。

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この少し前にインドのエアコンなし3段寝台とアルメニアのプラッツカルト(旧ソ連圏の鉄道によくある簡易寝台)で寝たばかりなので個人的にかなり快適に感じましたが、カーテンが無いので気になる人は無理だろうな。

午後8時ちょうどに列車はイスタンブールハルカリ駅を出発しました。

 

小一時間同室の人達と喋ったあと一眠りしていたら、車掌がドアを開けてパスポートコントロールと怒鳴る(?)声に起こされました。

列車で国境を越える場合出入国審査は車内で待っていれば良いことの方が多いのですが、トルコの出入国は一回降りて駅舎で行うようです。時計を見ると午前2時半ですが、仕方なく肌寒いホームに降り立ちます。
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地下通路を通って駅舎まで行き、トルコ出国のスタンプを押してもらいます。
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列車に戻ると機関車がブルガリアのものに変わっていました。
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ベッドに戻ってゴロゴロしていたら、車両を間違えた日本人女性2人組が通路をあれー?とか言いながら徘徊していたので、この車ブカレスト行きやでと教えてあげたら焦って降りていきました。

時間が時間なので爆睡していたらいつのまにか少しだけ列車が進んで、今度はブルガリアの入国審査です。こちらは車内で行うので寝っ転がりながらで大丈夫です。パスポートを回収され、30分ぐらいしてスタンプを押された状態で返されました。

列車での国境越えの場合、微妙な時間を挟んで連続でパスポートコントロールがあるのが辛いです。しかも夜行列車だと2時とか3時にやりがち。

 

次の日、目を覚ますともう12時でした。

列車はブルガリアの田舎を走っています。いつの間にか最後尾だったはずの自分たちの車両が先頭になって、後ろにおそらくルーマニアの客車が連なっていました。

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寝ている間にディミトロフグラード駅でソフィア行きと切り離され、後ろに新しく座席車が連結されたようです。列車は1時間ほど遅れていますが、まだブカレストでの乗り継ぎには問題ないでしょう。

午後3時過ぎ、ブルガリアルーマニアの国境に到着しました。ブルガリアの出国は入国時同様パスポートを回収されてしばらくしたらスタンプを押された状態で返されます。

次にルーマニアの入国です。パスポートの回収はされずに、部屋で質疑応答してその場でスタンプを押されました。一番楽でありがたいタイプです。

ちなみにブルガリアルーマニアの国境審査は近い将来両国がシェンゲン協定に加盟して無くなるはずです。ただ、2022年にEUでギリギリ否決されたため、両国はまだシェンゲン協定に加盟していません。(その時はクロアチアだけ承認された)

追記 2024年春頃に両国がシェンゲン協定に加盟することが決まりました。両国間の国境審査は原則廃止されることになり、この列車の所要時間も2時間ほど短くなると思われます。

ここで問題が発生します。ダイヤ上ではルーマニアの国境駅での停車時間は20分だけですが、当然そんな短時間で全乗客の入国審査が終わるわけがありません。遅延がどんどん拡大していきます。

思ったよりは早い35分ほどの停車で出発しましたが1時間半以上遅れており、モルドバ行きの国際列車への乗り継ぎが危ぶまれてきました。

所定の乗り継ぎ時間は2時間12分なので余裕がないとはいえ間に合うのではと思われるかもしれませんが、ネット予約したモルドバ行き列車の切符の受け取りが発車の30分前までなので、かなりまずいです。切符の受け取り期限は18時50分。つまり最大でも1時間40分遅れまでしか許されません。間に合うか。

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システム的には発車直前やなんなら発車後でも受け取れる気がしないでもないが、

"Tickets can be picked up from the railway station no later than 30 minutes before the beginning of the trip."

と赤文字で書いてあり、もし30分前を過ぎて発券を拒否されても文句は言えないでしょう。(実際にはとりあえずゴネるだろうけれど)

機関車はルーマニアの青い機関車にかなりの衝撃とともにつけ変わりました。

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実を言うとこの時既に当日中の乗り継ぎを諦めていましたが(ここまでの表定速度からすると間に合う訳がないから)、ルーマニアに入ると線路状態がブルガリアより格段に上がったためかなりのスピード(最大120km/hぐらい出てそう)になり、希望が見え始めました。そこからはかなり遅れを回復し、次のVidele駅に着く頃には1時間15分遅れほどになっていました。

ルーマニアの車窓にトルコの三日月マーク。とても良い

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いくらか安堵していましたが、ブカレスト北駅直前まで来たところで他の路線との合流地点の赤信号で長時間停止。結局、間に合う可能性の少しでもある最大の遅れである1時間40分ちょうどの遅れでブカレスト北駅に入線しました。期限まであと2分、1秒の猶予もありません。

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ホームに入線すると同時に一番先頭のドアを手で開けてステップに立ち、列車が停止するより早く小走り程度のスピードになった瞬間ホームに飛び降りて全力で国際列車のチケットカウンターに走ります。インドですらやらなかった走行中の列車からの飛び降りをまさかルーマニアでやるとは。

受け取り期限1分前、窓口に到着するとそこには長蛇の列が(1窓しかないのかよ)。万事休すか。

他にどうしようもないので列の先頭に"deadline's coming in 30 seconds"と叫びながら割り込みます。ちなみに in a minuteと言わなかったのは定型的な表現になってガチで1分しかないとはまさか受け取られないから。幸運にも理解あるアメリカ人カップルが列の先頭だったため快く順番を譲っていただき、奇跡的に期限10秒前ぐらいにチケットの引き換えが完了しました。いやもうなんというか奇跡だ。

偏見かもですが現地の人が先頭だったらこの場合譲ってくれない人が多い気がします。ルールには厳しそうな堅い国民性を感じますし、ルーマニアでは意外と英語通じないです。実際2番目から後ろに並んでいた現地の方たちの視線がすごーーーーーく厳しかったです。事情がわからなければアジア人の割り込みなんてただ不快でしょうからね(細かい理由は敢えて言わないが)。この幸運を噛み締めて、しっかり列の人たちみんなに謝意を表しながらその場を去りました。

ホームに戻って自分が乗ってきた列車の写真を撮ります。

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初めてこの列車の全体像を見ましたが、客車は思っていたより短かった3両編成で、1両目が自分の乗っていたトルコ国鉄の寝台車、2両目がルーマニア鉄道の座席車、3両目がブルガリア国鉄の客車と、客車の国籍が全て違います。やばい、面白すぎる。

 

長くなり過ぎたのでここで一旦区切ります。

次回はブカレストからモルドバの首都キシナウに向かう国際列車です。

ソ連時代の客車と、国境での台車交換、モルドバのドS女子によるルーマニア語レッスン&日本語勉強会などあります。それでは。

続き トルコからモルドバまで列車で二晩かけて行った話② - あかはらいもりの日々放浪記

アルバニア鉄道2023 荒れ果てた鉄路 本編

この記事の続き

sartan.hatenablog.com

 

こんちわ、イモリです。

元々やばかったアルバニア鉄道はここ数年で限界まで衰退し、遂に1路線のみ、金土日曜日に1往復ずつ、週3往復のみの運行となってしまった。

そんな明日にでも廃線になってしまいそうなアルバニア鉄道にわざわざ乗ってきたお話である。

 

 

9月17日 日曜日 朝4時半、エルバサン駅6時発のドゥラス行きの列車に乗車するため、宿から5km離れた駅に歩いて向かう。

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電灯も少ないので暗く、治安も良くはないが、それ以上に昼間おとなしかった野犬たちが凶暴化していてうなってくるのが怖すぎる。野犬自体は多くの地域で見てきたが、エルバサンの野犬は平均してかなり獰猛だ。

途中道の反対側でゴミを漁ってる大型犬がいたので刺激しないよう静かに通ろうとしたが、自分の影がかかってしまい牙をむいて吠えながら走ってきた。あーこれ噛まれるやつだ

とりあえずクマの場合と同じように怯まず目を合わせ、そういうことしたらダメでしょなど話しかけながら後ずさりするも、見合ったままなかなか諦めてくれない。

2分ほど見合っていた頃、車が2台走ってきたのでタイミングを見計らって道の反対側にダッシュで渡る。すかさず追いかけてくる野犬。車が急ブレーキをかける音。野犬はギリギリ轢かれず一回元の側に戻る。車が通り過ぎるとまたこちらに向かってきた。そして2台目のトラックにも同様に轢かれかける犬。さすがにビビった猛犬は立ち去って行った。助かった。

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市街中心部までたどり着くと野犬はいるが街灯で明るくなって幾分安心して歩けるようになった。

駅に着くと昨日の元ドイツ鉄道客車2両に、旧東側諸国ではお馴染みのチェコディーゼル機関車が連結されていた。

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余談だが、駅構内も野犬の縄張りになっていて一時睨み合いになった。基本的に怯まず適切に対処すれば野犬に噛まれることはあまりないが、もし噛まれたら消毒と狂犬病ワクチンを忘れずに。

エルバサン駅

切符は駅舎の道路側(駅構内と逆側)の窓口で売っている。

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時刻表と窓口の営業時間案内。朝6時発の列車が最終列車なのに10時半まで営業しているのは謎。

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運賃は終点のPlazh(ドゥラス駅は工事中のため、数km手前のPlazhが終点になっている)まで145レク(250円弱)と格安だ。

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少しずつ人が集まってきた。週3往復でも使う人はいるみたい

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客車内は電気が供給されておらず暗い
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窓はたまに割れていて、そこから入ったと思われる葉っぱと枝が床に散らばっていたり、座席もボロボロでホコリっぽい。でもゴミが落ちていないので汚くはない。

投石の痕跡もある

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6時3分、汽笛が鳴り列車はゆっくりと出発した。程なくおばちゃん車掌が検札に来る。切符に印をつけ、少し破って返された。

おばちゃん車掌は暇つぶしにきた娘と一緒に乗務していた。日本人は珍しいからか娘さんにインスタ交換を求められたので応じたが、投稿を見る限り結構裕福なご家庭のようだ。週末になるとギリシャテッサロニキやイタリアに旅行しているストーリーが流れてくる。前日に地元民が言っていた通り、車掌をやっているのは完全に暇つぶしのバイト感覚なのだろう。

2両編成の1両目と2両目の前半分に地元民が20人ほど乗り込んでおり、2両目の後ろ半分に自分とスイス人鉄オタ、そして多分アメリカ人の3人組の外国人5人で固まっていた。

かなりゆっくり走っているので思っていたよりは揺れない。わかってはいたが景色も特に良いわけでもない。ただ乗ったことに意味があるのだ。

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週末に1日1往復ずつしか運行されないにも関わらず、どの踏切でも遮断桿を私服のおっちゃんが手動で上げ下げしていた。彼らも小遣い稼ぎにやっているのだろう。

客車の最後尾はドアも落下防止のバーなどもないので開放的だが落ちそうで怖い
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ここは駅なのか(多分反対側にはホームがある)
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途中のKavajë駅には貨車が放置されていた。貨物列車はいつまで走っていたのだろうか

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8時50分、列車はドゥラス市内の終点Plazh駅に時間通り到着した。エルバサンから2時間50分、表定速度は26.5km/hほどだ。

これにてアルバニアの運行中の鉄道路線は完乗したことになる。まさか日本の鉄道より先に外国の鉄道を完乗するとは思わなかった笑

先頭の機関車は写真を撮る間も無くさらに先の方へ単機回送されて行った。

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ドイツ本国ではもう見られない貴重なDBの普通客車

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Plazh駅は元々は主要駅ではないためまともな駅舎はなく、プレハブの切符売り場だけがあった

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Plazh駅の場所

車窓から海はほとんど見えなかったが、ビーチまでは駅から歩いて数分だ。

一緒に列車に乗っていたスイス人大学院生の鉄オタと近くのカフェレストランで朝食をとり、旅行情報を交換するなどした。

円安が酷くて対ドルでコロナ前の2/3程の価値になってしまったと嘆いたからか、トイレに行っている間にスマートに奢られてしまった。ありがとう。イケメン。大好き。

イケメンと別れたあと、ビーチで4時間ほどくつろいだ。すごく遠浅でかなり沖まで歩いていける。ただ海の色はあんまり綺麗じゃなかった。

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遅めのランチをピザレストランで食べた。対岸なだけあってイタリアンの店が多い。

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港近くにはかつての貨物線と思われる線路が残っていた。

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公式には工事中とはいえ、どうせ進捗0で直す気もないんだろと高を括っていたら、本線の敷地内には新品のコンクリート枕木が並べられていた。新しいレールも用意されていた。
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衰退著しいアルバニア鉄道だが、まだ一応やる気はあるらしい。来年には全部廃線になっていそうと思っていたが、かすかな兆しが見えた。

スイス人鉄オタ情報として、モンテネグロと繋がっている線路も貨物専用で復活する予定らしいが、前日にバスから見た限り特に動きは見えなかったので多分立ち消えになると思う。

ドゥラスからはイタリアのバーリに夜行フェリーで渡る。他にアンコーナまでのフェリーもある。

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フェリーターミナルには現在工事中のドゥラス駅までの案内看板があった。アクセスは確かに良いが、休止中でなかったとしても週3便では物好き以外フェリーから乗り継ぐ人はいないだろう。f:id:sartan:20231110231746j:image

 

繰り返しとなるが、2023年現在のアルバニア鉄道は金土日曜に、往路がエルバサンを早朝に出発、復路がドゥラスの街外れPlazhを昼過ぎに出発している。

アルバニア鉄道に乗りたい場合はこの記事とは逆の復路便に乗車してエルバサン到着後、徒歩15分ほどのバスターミナルから首都ティラナに脱出するのが最適解と思われる。

 

工事などの投資は行われていたとはいえ10年後に運行を継続しているとはあまり思えないので、アルバニア鉄道に興味のある方は早めに訪問されたし

アルバニア鉄道2023 荒れ果てた鉄路 序編

 

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こんちわ、イモリです。

突然だがアルバニアという国を知っているだろうか。

イタリアのすぐ対岸だが、日本での知名度は高くないように思う。

そして、その国の鉄道はヨーロッパの他の国の鉄道と比べてかかり異質である

 

遡ること6年、当時旅行の予定もないのにヨーロッパ鉄道時刻表を買ってページをめくっていた。

ヨーロッパ鉄道時刻表は国ごとに列車の時刻がまとめられているのだが、その中に1か国だけ、明らかに異様な国があった。

その国の鉄道路線だけは他国の線路と(路線図上)一切接続しておらず、時刻表の欄も2路線3往復(当時)のみでスッカスカだったのだ。

その国こそアルバニアであった。

ネットで検索すると首都のティラナからの路線(現在は廃線)に乗った方の記事があり、荒れ放題の客車の写真に衝撃を受けた。

いつか機会があれば乗ってみたいと頭の片隅にあったが、遂に今年2023年9月、念願叶い?乗ることができた。

 

9月16日土曜日昼過ぎ、私はモンテネグロの首都ポドゴリツァからのバスを、アルバニアの首都ティラナの国際バスターミナルで降りた。

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アルバニア鉄道の始発駅があるエルバサン行きのバスに乗り継ぎたいのだが、ティラナのバスターミナルは現在、面倒にも3か所に分かれている。

一つは今いる国際バスターミナル、2つ目が南&北方面バスターミナル、3つ目が南東方面バスターミナル

エルバサン行きのバスは、市街中心部を挟んで4kmほどの南東方面バスターミナルから出ているのでそちらに向かう。

ティラナ南東方面バスターミナル

かつての独裁者ホッジャのピラミッドや博物館、スカンデルベグ広場など、ティラナの見るべきものは大体途中に立ち寄れるので、国際バスで到着した場合は歩いて向かうのがおすすめだ。

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長らく廃墟だったホッジャのピラミッドはちょうど5月に改修を終え、イベントスペース兼展望台のようになっていた

観光しつつ、グーグルマップを頼りに南東方面バスターミナルに着き、ちょうど停まっていたバスの運転手にElbasan?とたずねると、乗れというジェスチャーをしたので乗り込む。日本でいう高速バス仕様の大型バスだ。

ちなみにこのターミナルはエルバサン行きのバスが最も頻発しているため、運が悪くなければ簡単にバスは見つかると思う。

出発前に運転手が運賃を前から順に回収しはじめる。

運転手に直接聞いたり、とりあえず高額紙幣を渡すと大体ボラれるので、隣の席の客にいくらか聞く。

事前情報では200レクだったが、実際には250レクだった。例に漏れず物価上昇している。

ちなみに大体100レク=150円

 

1時間ほどでエルバサンに到着した。

エルバサンのティラナ行きバスターミナルは結構わかりづらい場所で、他の路線とは異なる位置にあるため、自分とは逆の列車に乗ったあとティラナに向かう場合などは要注意だ。

 

明日のエルバサン発の列車は午前6時なので、今日のうちに駅まで下見に向かう。

地元住民からの視線を感じながら細い道を抜けると、だだっ広い構内に落書きされまくった元ドイツ鉄道の赤い客車が留置されていた。

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6年前にネットで見た車両と同じかそれ以上に荒れた客車を目の前にし、感慨に耽る…間も無く、構内でサッカーをしていた子どもたちに取り囲まれる。

首都ティラナでは中国人を結構見かけたが、エルバサンではアジア人が相当珍しいのだろう。

何人かはマネーマネーと言ってくる。アジアの貧困国の物乞いほどガチの感じではなかったが、スリをしてくる可能性も高いので一気に警戒モードに。写真も結局1枚しか撮れなかった。

程々にフレンドリーに接して上手く逃げようと画策していると、近くで見ていた大人の一人が近づいてきてイタリア語で話しかけてきた。

アルバニアはイタリアのアドリア海をはさんだ対岸であり、イタリア語も話せる人は結構いる。

自分のイタリア語は片言なのでほとんど何を言ってるかわからず困っていると、英語を話す他の大人が来てくれた。

列車に乗りにきたと伝えるといろいろ話してくれた。

その人によると、これはトレインじゃなくてパートタイム・トレイン(後に全く冗談ではないことがわかる)で、土日だけ走る。朝6時に出発するから乗りたければ明日5時半に駅に来ればいいとのこと。

補足だが、2023年現在のアルバニア鉄道は限界まで衰退している。路線はエルバサンから港町ドゥラスまでを結ぶ約70kmの1路線のみが残存、毎週金土日に1日1往復ずつ、週3往復のみの運行となっている。なお地元の人たち複数人に聞いたところ、土日だけしか走らないと口をそろえるので、金曜日はもしかしたら走っていないかもしれない。

時刻表はGoogle検索しても出てこないが、アルバニア鉄道のFacebookまたはInstagramの投稿から見られる。

 
 
 
 
 
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話が戻るが依然としてスリ予備軍の子どもたちに囲まれている。

そのうちの一人がダンスバトルを仕掛けてきたのでこちらも応戦して、そこそこ盛り上がったところで上手くその場を抜けることに成功した。

駅や市街地からかなり離れた安宿を取っていた(これは後にいくつかの危険の原因となった)ので、城壁の横などを歩きながら向かう。

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この街の子ども達はこちらを見るとすぐにキナ(中国の意味)キナ、マネーマネー言ってくる。

 

安宿にチェックインし、近くの商店に夕飯と酒を買いに行こうと宿の鉄扉を開けると、いかにもなガキ大将とその手下たちという集団が目の前にいた。

例に漏れずマネーマネー言ってくるのだが、余りにしつこかったので強めに追い払うと、一斉に石を拾い、投げつけようとしてきた。

怯まず、石投げたらヤバそうな雰囲気を放ちながら歩き続けると奴らは立ち去っていった

商店から戻るとさっきのガキ大将達がまだいた。無視して宿の鉄扉の鍵を開けようとしていると、取り囲んで鍵を強奪しようとしたり、You stupidなど言ってきたので、こちらも淡々と日本語でバカアホ言い返しながら宿に入った。宿に入ってしまえばこっちのものである。

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一番よく見かけたビール。割と新しいブランドらしい。

 

宿から駅までは約5kmの距離で、歩いて1時間程だ。言われた通り5時半に着くには4時半に宿を発つ必要がある。

朝4時にアラームをセットして、早めに就寝した。

本編に続く

幻のアケビ油をつくる!【時代と共に消えた油】

コロナ前は暇さえあれば遠くに行っていましたが、最近はコロナ禍でインドア系の遊びしかできません。

ということで、なんやかんやあって「脂」に興味が湧きました。

「あぶら」です。特に食用のやつ (つまりガソリンとかではないです)

 

普段使うあぶらといえば、サラダ油、キャノーラ、オリーブ、ごま、、大体そんなところです。

あとは家に一応亜麻仁、ココナッツ、パーム、熊油!があります。(熊油は前に会津で買ったが使い道が分からない...)

とりあえずWikipedia食用油を調べていたら、かなり種類があります。大体聞いたことはあるやつですが、特に榧(かや)油とアケビ油に興味が湧きました。聞いたことないので。

油脂 - Wikipedia

榧油については少量生産されているので高価ながら買えるようです。今度買います。

榧の実油(100mL)の通販【榧工房 かやの森】

しかし!アケビ油に関しては2017年に一度だけ超高価で少数販売された以外は全く市場に出回った形跡が無いのです。

ならば自分で作るしかない!

 

まずはアケビを手に入れなければいけません。

9月はちょうど旬なのでネットで1kg3000円程で売ってました、があのアケビにそんな大金出したくありませんので最終手段とします。

山になってるのを取りに行くのも面倒だし最近は山から勝手に取って食うのはNG感もある。

と、たまたま寄った道の駅に売ってました。500円ぐらいで約1kgゲット!

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とりあえず食べます。まあ当然食べるところほぼ無いのですが

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お、記憶のなかのアケビよりは甘みが強い。。やっぱり種ばっかり 体積の8割ぐらい種だろこれ

とりあえず唾液と果肉まみれのきったない種を出し、ザルで洗いまくります。(きったないので当然写真無し)

残った果肉は洗った程度では落ちないし、チアシードの周りのやつみたいなのもついてるので、1回目の乾煎りをします。

 

ついでに皮も食べれるらしいので食べてみようと思います。見た目だけジャガイモ。

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まずはアク抜きということで、とりあえず弱火で10分ぐらい煮て、流水で冷やして(これをすることで細胞壁壊せる気がしてる)

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1cm程度の短冊状に切って、もう一回軽く煮ました。

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今回はすぐ食べたかったのでこうしましたが基本は水にさらすだけでアクは抜けると思います。割とすぐ抜けます。

で、天ぷらにしようと思いましたが、粉が無かったので素揚げにします。

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見た目だけは本当にジャガイモ。

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完成。味は無味のジャガイモって感じでした。ちょっと皮が苦い。ケチャップをつけるとまあまあいけた(塩では太刀打ちできなかった。というかケチャップ以外だとマズい)。

半分は残しました。食糧難になったら普通に食うと思う。

 

本題に戻って油です。1回目の乾煎りでヌルヌルがヌチョヌチョになったので、冷ました後適当に手で取り除きます。これは多分煎らないと取れません。

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ヌチョヌチョを取り除いたら2回目の乾煎りをします。焙煎することで風味が良くなりそう。ゴマ油的な感じで。

焙煎中は時々爆ぜるのでフタしたほうがいいと思いますが、種の構造上の問題か、地面と平行に高速回転しながら飛ぶのでしなくても割と大丈夫。むしろしない方が状態を常に確認できるのでいいかもしれません。

高速スピンは見てて非常に面白かったです。

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いい香りがしてきたら火を止めます。控えめに言っても良い香りがします。

触ると油感がしました。フライパン表面も冷ました後触ると油の感覚がしました。

 

と、ここで問題発生。油絞る機械ないじゃん。

仕方なくAmazonでポチります。2万円。。。一度やり始めたら途中でやめられない性なので仕方ありません。

後で少し思いましたが、搾油機が届いてから焙煎すべきでしたが、しょうがないです。多少の酸化は良しとします。

 

現在搾油機の到着待ちです。作り終わったら続きを書きます。