早朝の八戸港に到着した後、当初は歩いて本八戸駅に向かう予定でしたが、疲れが溜まったため、タクシーで向かうことにしました。
乗った後に気づいたのですが、4時台ということでタクシーメーターが割増になってる!
こりゃーえらい金額になると思いましたが、意外にもそんなに高くはありませんでした。
東京で同じ距離乗るよりは安くつきました。
朝っぱらの本八戸駅。
んだすけよぉ ってなんなんでしょうか? 自分は八戸人にはなれないようです。
今回、何故わざわざ朝早くの八戸にきたのかというと、数日後に引退が迫った八戸線のキハ40系に乗車するためです。
すでに、新型車両に半分置き換わっていたので、車両運用を調べ、確実にキハ40系が充当される列車に合わせて早朝に来ました。
これがキハ40系。
八戸線のキハ40系の特筆すべき点は、おそらく北海道を除いてJR最後の非冷房車ということです。※イベント用旧型客車を除く。
今回はまだ寒いので窓を開けることはありませんでしたが、夏なんかは窓全開で風を感じられました。
だんだんと日が昇って来ました
鮫を出ると、乗客は自分一人になってしまいました。普段は0人のことも多いのではないでしょうか。
そんな利用率にも関わらず、八戸線には全列車車掌が乗っています。なんででしょうか?
一昔前に労組がワンマン化反対で騒いでたりしたのでそういうことなのでしょうか?
似たような例には只見線があります。
途中階上駅で行き違いのため、30分以上の長時間停車があります。
旧貨物側線↓
ちっちゃい駅です。
駅前には腕木式信号機が保存されていました。
2005年まで使っており、階上えきのそれは、八戸線内でも陸中八木駅についで2番目に遅くまで使われていました。
地方の鉄道ではその後も多少残っていましたが、現在は津軽鉄道のみになってしまいました。
信号を変えるてこ
キハ40系同士の列車交換
県境を越えると高校生で満員になりました。
満員のまま終点の久慈駅に到着しました。
普通、廃止間際の時は、葬式鉄と言われる人達がたくさんいるのですが、この列車には時間の早さもあるのかいませんでした。
あまちゃんに何かしら関係があるらしい小物が飾ってありました。
農産物直売所などに寄ったのち、高速バスで盛岡に抜けました。
ここから快速はまゆりで花巻に向かいます。
この列車は元々急行陸中という列車だったため、リクライニングシートになっています。
指定席もある快速列車です。
花巻駅に到着。
この電車で東北本線を南下して行きます。東北本線がいつも混んでるのは両数が短すぎるからだ。
電車化せず、客車列車のままにしておけばよかったのに。
一ノ関からは時間の都合上新幹線で仙台へ。
仙台駅で、溶けてしまった北海道土産の冷凍ジンギスカンを宅急便の冷凍便で自宅に発送し、常磐線経由で上野を目指します。
津波被害地は田んぼでも畑でも住宅地でもない荒地が広がっています。
浪江駅に到着しました。
ここから富岡駅までは、原発のせいで復旧していないため、代行バスで先へ進みます。
7年前から放置されているファミマ。中の棚には商品が残っていました。
放射性残土の山。
富岡駅に到着しました。
富岡駅からいわき駅までの普通列車はなんと、元スーパーひたちの651系。
快適なリクライニングシートでずっと寝てしまいました。
いわき到着。
いわきからは普通列車で石岡まで向かいます。
さすがは常磐線。ガラが悪い!
石岡から上野までは特急ときわで上野まで。石岡からの理由は、石岡からなら特急券が1000円になるから。
上野に到着しました。今回の旅はこれで終了しました。
今回は、運休したり、特急や新幹線をちょこちょこ使ってしまったせいで、青春18きっぷの良いところをうまく使いこなせなかった感じがします。
運休で乗れなかったところは、夏にリベンジしようと思います。